なんとなく、うっすら、気持ちが悪い。
高2の夏に胃を壊してからプロの胃弱として生きていた私は、これは昼のトンカツのせいでちょっと胃の調子が悪くなっているだけだと判断した。市販の胃薬を飲めば大丈夫だろう。そう思いミルクティーで胃薬を飲んだ。閉館までここでゆっくり休めば良くなる、そう思った。希望的観測だ。
気分の悪さは治らないどころか、少しずつ強くなっているように感じた。認めたくはなかったが。目をつぶって身体を休めることに集中した、が、無理だった。これはダメだ。
トイレに行き、吐いた。やっぱり胃の調子が悪いんだ。毎日薬はちゃんと飲んでいるけれど、いきなり昼に揚げ物を食べたからだ、まあでもこれで少し楽になるだろう、とトイレを出て自販機で水を買い、再度薬を飲んだ。こうなることも吐くことも胃弱生活で慣れている。もうこれで大丈夫だろう。
と思った瞬間、再度嘔気に襲われた。トイレに戻りまた吐いてしまった。飲んだばかりの水と薬が出てきた。だんだんふらふらとしてきて、少し血圧が下がっている気がした。水を飲んで血圧を上げようとするも何かが入るとすぐに嘔気を催してしまう。これはまずいかもしれない。閉館まであと15分ほど。私はトイレから動けなくなってしまった。
トイレで小さくうずくまりながら、このままの状態だとどうなるかを考えた。閉館になってもトイレから出てこない、吐き気が強くてふらふらで動けないという客がいたら…?救急車を呼ばれるなぁ……とぼんやり思った。
救急車は全く必要ない、数時間休めば大丈夫だと確信があったが、閉館した水族館でそんな長い時間休ませろなんて完全に迷惑だ。私が水族館で働いていていたとしてもどうにか救急隊に引き取って貰いたいと思うだろう。もしかしたら呼ばれるのは警察かもしれない。無事病院についたにしろ、なんて言ったら良いんだろう。「家は神奈川です、帰れません。秋田に来た理由?あざらしを、どうしてもみたくて……」とでも言うのか?このコロナ禍にこんな理由で秋田まで来て貴重な医療資源を無駄にする現役看護師、ヤバすぎる。「看護師のくせに何してんだよ!迷惑だな!」と言われても何も言えない。その通りだからである。
身体はしんどかったが、命の危険は全く感じていなかった。感じていたのは「このままだと社会的に終わる……」ということだった。一般市民ならまだしも、医療従事者がこれをやったら…何度考えても「終わり」にしか辿り着かなかった。ここが江ノ島水族館(神奈川県内の水族館)だったらな……親でも友達でも誰かに泣きついて迎えに来てもらえるのに……と現実逃避をしかけたところで、ルンルン気分で引いたおみくじの内容がふっと頭に浮かんだ。

「遠くは行かぬが利」
しっかり書いてあった。なんなら今見ると「思いがけぬ煩い起こりて心痛するが〜」なんてことも書いてある。
神様、ごめんなさい……反省しますからどうにかしてください……とどこかの神様に縋った。おみくじを見てほくそ笑んでいたというのに人間というのは都合の良い生き物だ。
祈ったところで現実はそう甘くない、もうあと数分で閉館だ。気力を振り絞って立ち上がり、自販機でスポーツドリンクを買い、ふらふらと外に出た。帰りは路線バスで男鹿駅に向かわなくてはならない。バス停まで歩かなくては。
あの時みた日差しが嘘のように、外は再び吹雪に戻っていた。バス停まで辿り着いてからバスを待つ数分も立っていられずバス停の下にうずくまった。遭難でもしたかのようだ。
実際には数分だったが、とても長い時間に感じた。バスがやってきた。ここからこんなグロッキーな状況でバスに約1時間乗車しなければならない。人間追い詰められると結構できるもので、天秤にかけられているのが「看護師として社会的に終了」だと思うと身体が動いた。
手にしっかりビニール袋を持って(胃弱の嗜みである)、私はバスに乗り込んだ。
続く
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