あんずに会いに行かなきゃ。行くしかない。当時の職場の休憩室で私は迷わず秋田行きの夜行バスの予約をとった。
当時はコロナ禍第一波真っ只中。詳細不明の感染症との戦いなんて教科書の中かフィクションの中の出来事だと思っていた。一応急性期でそこそこちゃんと看護師をやっていた私は、多くの医療従事者がそうだったようにかなり疲弊していた。まだワクチンもなく治療方法も確立していない謎のウイルス。現場はかなりピリピリとしており、本当に病棟か、スーパーか、家にしかいなかった。髪も切りにいかず、伸びるままにしていた。家族とも、友人とも、当時の恋人にすら会いにいける雰囲気ではなかった。
一体いつまでこれが続くんだろう。先が見えないというのはなかなかに辛い。毎日忙しくて何もする気が起きない。休みの日はずっと布団から出ず、ただYouTubeを見る「かたまり」になっていた。
そんな中、ふと目に入った「赤ちゃん生まれました!」と書いてあるサムネイル。2頭のあざらしの写真が載っている。おそらく一頭は母親で白くて小さな方が赤ちゃん。目が釘付けになった。2分ほどの短い動画では母親あざらしの「みずき」が夜間に出産し、その後の母子の様子が映されていた。正直赤ちゃんはまだ泳げず羊水がついていて汚れたモップのようだったが、一生懸命生きていた。そのあまりの可愛さに一瞬で虜になってしまった。この赤ちゃんが後のあんずである。
それからの私は毎日狂ったように秋田県にある男鹿水族館公式YouTubeチャンネルの動画を見た。あんずはどんどん成長し、赤ちゃんではなくなった。それでもとっても可愛かった。男鹿水族館のあざらしは顔を見ただけで名前がわかるようになった。狂っている。家族からは「あざらし女」と呼ばれた。後輩があざらしのグッズをくれるようになった(憐れまれている)。灰色だった世界に灰色の生き物たちが色をつけてくれた。
そんな生活が2年続いた。コロナは依然流行っていたけれど、少しずつ治療データも集まり、何よりワクチンができた。感染が落ち着いている時は少しずつ大切な人たちと会うこともできるようになった。
相も変わらず限界看護師をしていた私は、休憩室でいつも通り男鹿水族館公式SNSをチェックしていた。目に入ったのは、ゴマフアザラシ「あんず」搬出のお知らせ、という文字。薄々予想はしていた。男鹿水族館では毎年あざらしの赤ちゃんが生まれる。水槽も狭くなるし、将来的に血が濃くなってしまうのも良くない。こうやって水族館同士で調整して生き物たちのお引越しをすることは、あざらしにハマり全国の水族館情報を集めるようになって自然に知った。引越しは約1週間後。急な話だ。
会いたい。あんなに大好きで毎日見ていたあんずに私は会ったことがない。あんずには全く伝わらなくてもいいから、貴女のおかげで人が1人救われたのだと伝えたい。あんずが泳いでいるところを見てみたい。あんずがご飯をもらっているところもみたい……。あんずを心の支え、もはや「推し」にしていた私は、秋田にいる1頭のあざらしに控えめに言っても激オモな感情を抱いていた。
ふと、翌日からの夜勤の後、久しぶりの2連休であることを思い出した。明けでその日の夜中に出発する夜行バスに乗れば翌朝には秋田に行ける。別に泊まらなくていい、男鹿水族館にさえ行ければ。でも何かあると怖いから2連休ならちょうどいい。引越し先は兵庫で、神奈川に住んでいた私としてはなんなら引越し後の方が行きやすいのでは?という気もしたが、同じ時期に水族館にハマった同期の「でも、あんずが家族と一緒に泳いでるのをみれるのは、今だけだよ…」という言葉で私の心は決まった。
あんずに会いにいかなきゃ、行くしかない。
続く
次の話↓
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